平安時代(へいあんじだい(794年) – (1192年))は 身分制度のトップは天皇(てんのう)であり、京都の平安京(へいあんきょう)が政治の中心でした。 天皇の下には公家(くげ)と呼ばれる貴族(きぞく)が居て、公家の中でも位(くらい:grade)が 分かれていました。もちろん、武士はその下で、貴族の警護(けいご)などを していました。
平安時代は、多くの勢力争い(せいりょくあらそい)が起こりますが、平清盛(たいらのきよもり)は、上皇(じょうこう)などの関係から力をつけて、平清盛の義弟(young brother in low)の 平時忠(たいらのときただ)は、
『平家(へいけ)にあらずんば人にあらず』You are not human if you do not belong to the Taira clan.
という言葉を残します。
1185年 壇ノ浦の戦い(だんのうらのたたかい)で、平家(へいけ)は源氏(げんじ)に負けて 平安時代は 終わります。
これ以来、江戸時代(えどじだい)の終わりまで、武士(ぶし)が身分制度(みぶんせいど)のトップになります。
江戸時代から、政治(せいじ)の中心は江戸(えど:今の東京)に 移ります。 京都には天皇はいましたが、政治上 利用されるだけで
実際の力は江戸の徳川(とくがわ)代々の将軍が握っていました。
江戸時代の身分制度は「上から順に士農工商穢多非人」などと理解されてきたが、これを幕府が政治的につくりあげたとする根拠はないとする説がある。 諸説(しょせつ)あります。