まずは歌を聞いてください。こいのぼりという子供の歌です。
屋根より高い鯉のぼり 大きい真鯉はお父さん
小さい緋鯉は子供たち 面白そうに泳いでる
こどもの日の由来は、諸説ありますが、今から約2300年前の中国の戦国時代からきているようです。
楚(そ)の国の国王の側近に、屈原(くつげん)という政治家がいました。
彼は詩人でもあり、その正義感と国を思う情が強く、人々の人望を集めていたんですが、彼は陰謀によって失脚し、国を追われてしまいます。自分の国の未来に失望した屈原は、汨羅(べきら)という川に身を投げて(自殺して)しまったのです。
楚 の国民達は、小さい舟で川に行き、ちまきを投げ、さらに太鼓を打ってその音で魚をおどし、「屈原」の死体を魚が食べないようにしたそうです。それがドラゴンレースの由来ともいわれています。
これがちまき(肉粽=ローツ ォン)の起源です。
このようなエピソードから、毎年命日の5月5日の屈原の供養のために祭が行なわれるようになり、やがて中国全体に広がっていったということです。 国と人民に尽くした屈原の政策は、死んだ後もいっそう人々に惜しまれ、多くの粽(ちまき)を川に投げ入れて国の安泰を祈願する風習に変わって行きます。
・そして、その風習は、病気や災厄(さいやく)を除ける大切な宮中行事、端午の節句となったと言われています。
それがどうして日本に伝わってこんな大きなイベントになったのかというと、急に暑くなる5月初旬のこの時期は、昔から病気にかかりやすく、亡くなる人が多かったそうです。当然、子供が生まれても栄養状態も悪く、医療体制も整っていなかった昔の日本では、せっかく子供が生まれても育たずに死んでしまうことが多かった・・だから子供の特に跡取りとしての男の子の健康を祈って各家に鯉のぼりと吹き流しを立てるようになりました。法律ではこどもの日はこどもの成長を願ってと書いてあり、特に男や女の指定はありませんが、日本人の意識のなかで5/5は男の子の祭り、端午の節句、3/3は女の子の祭りで桃の節句、大きなひな壇を皆さんも見たことがあると思います。
さて、先ほど私が言った男の子は跡取りという考え、とても古い考えなのですがこれはまだ多数の日本人の中に残っています。日本人は結婚すると殆ど名字が変わるでしょう? たとえば 田中 明子さんが 山田太郎さんと結婚すると山田明子になり、太郎さんという名前は長男のことが多いので明子さんは山田家の跡取りを産まなければなりません。意味わからないでしょう? でも この ~家(け)という家を代々引き継ぐという考えで今までどれだけの女性が泣いてきたかわかりません。 特に長男の嫁は、期待が大で、女の子を産んでも認められず、男の子を生むまでは肩身の狭い思いをして泣いていました。そのいい例が日本の皇室です。現在の皇后陛下であらせられる雅子様は
なかなかお子様がお出来にならなくて、それも雅子様の皇室での立場を悪くしていてあんなに体調が悪かったのだと推察します。愛子様がお生まれになった時、現在の天皇陛下とともに記者会見をなさった時に、愛子様について
「生まれてきてくれてありがとう」と涙ぐまれて、それを天皇陛下が雅子様の背中をやさしく擦って、あのシーンは思い出すと涙があふれます。それでも女性は跡取りにならないと不満をもらす人々も居て、由緒ある家柄に嫁ぐと、長男の嫁はそれはもう大変なプレッシャーがあるわけで・・・今は、昔ほどではなくなりましたが、やはり地方に行けば、家の跡取りを産んでほしいと願うおじいちゃん・おばあちゃんがたくさんいるのも事実です。
皆さんの国ではこどもの日にどんなことをしますか? 跡取りという概念がありますか? 家の嫁として、お姑さんや小姑(夫の兄弟)とうまくいかないことがあった場合どうしますか?
さて、最初に歌った鯉のぼりですが、今は各家庭で掲げる家が少なくなり、マンションなどが多い都会では大きな広場にまとめて飾られるようになってて、大きな鯉が何匹も空を泳いでいる姿には毎年感動させられます。
来年は、コロナが終わって皆さんにも空を泳ぐたくさんの元気な鯉のぼりを見てもらいたいと思います。